著者の曾曾祖父は、フランスの田舎の小さな村マンデレス=アン=バロワで馬蹄工として働いており、馬の蹄鉄を打ち、農民の荷車を修理していた。彼が自動車に出会ったのは、隣の町を走る車を見たか、新聞で読んだかいずれかだったが、そのとき新しい技術によって生計が奪われる可能性に直面した。著者が言う『馬を手放してエンジンの油を扱うことへの長い悲嘆』の後、彼は整備士として働き始めた。これにより、人々の移動を助けるという家業の伝統は続いたが、馬からエンジンへと技術が更新された。

著者はこの歴史的経験と、AIによって仕事が奪われるかもしれないという現代のソフトウェア開発者の不安を直接結びつける。人々はしばしば『AIは産業革命以来最大の革命だ』とか『これまでに見たことのないような変革を経験している』と言うが、これはトラクターや自動車の登場といった過去の技術的変化が、直接影響を受けた人々にも同様の恐怖を引き起こしていたことを見過ごしている。馬車を見守った馬蹄工のように、今日の開発者も技術の進歩に直面すると『これからどうなるんだ、最悪のことを想像して』と考える。これは馴染みのある仕事が技術によって揺さぶられるときの、普遍的な人間の反応を反映している。

キャリア転換の物語を超えて、著者は人々が仕事に求めるものが、特定の技術スキルだけではない可能性を示唆する。交通関係の仕事を世代を超えて続けてきた自分の家族を振り返り、『この仕事を愛していたのは、コードそのものだけではなかったのだろうか』と疑問を投げかける。多くの開発者は、『コードを書く行為よりも、ものを作る喜び、問題を解決する満足感、自分たちが作ったものを人が使う姿を見る喜び』によって動機づけられていると報告しており、『コードを学ぶ前に、ビデオゲームやウェブサイトを作りたいと思って開発者になりたいと思った』と語ることも少なくない。しかし、これは個人の家族史であり広範な歴史的分析ではないため、著者は曾曾祖父の経験が技術適応の広範な趨勢を証明しているわけではないと認めている。『すべての馬蹄工が整備士になったわけではないし、ならなかった人の話は聞いたことがない。だから彼の物語が何かを証明しているとは言えない』と述べている。それでも、変化の中で目的を見出し続ける視点として価値を見出している。