1937年6月7日、ランシング市では全米自動車労働組合(UAW)が組織した「労働者の休日(Labor Holiday)」が行われ、UAWローカル182支部長レスター・ウォッシュバーンの妻を含む組合指導者らの逮捕に抗議した。約1万5000人の組合員がストライキに参加し、ランシング全域の工場、店舗、劇場が閉鎖された。デモが隣接するイーストランシング市に拡大すると、「フライング・スコードロン」と呼ばれる組合員たちが地元の商店主に連帯して店を閉めるよう説得を試みた。この動きは、ミシガン州立カレッジ(MSC、現在のミシガン州立大学)の学生たちから予期せぬ抵抗を受けた。日々の生活を地元のレストランや商店に依存していた学生たちは、組合の行動を自分たちのコミュニティに対する侵害と見なした。対立は、予備役将校訓練課程(ROTC)のメンバーを含む学生たちが組合員と物理的に衝突し始めたことで激化した。報告によると、学生たちは組合員を車両から引きずり出し、数名をレッドシーダー川に投げ込んだという。数百人の学生と棍棒や建設資材で武装した組合員が入り乱れたこの衝突は、組合指導部が敵対行為の停止を呼びかけたことで最終的に沈静化した。この出来事は、当時の観察者の一部からは地域の自治を守る行為として称賛されたが、現在では米国の労使関係と学生運動の歴史において、ほとんど忘れ去られたエピソードとなっている。

1937年の労働者の休日は、UAWローカル182支部長レスター・ウォッシュバーンの妻ネヴァ・ウォッシュバーンを含む組合指導者の逮捕に抗議するために組織された。

ミシガン州立カレッジの学生たちが組合員と物理的に衝突し始め、学生が数名をレッドシーダー川に投げ込んだという報告があるなど、対立は激化した。